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高松高等裁判所 昭和54年(ラ)4号 決定

抗告人

徳島県

右代表者知事

武市恭信

右訴訟代理人

田中達也

相手方

神戸船舶株式会社

右代表者

原田弘

右訴訟代理人

原田昭

外三名

主文

本件抗告を棄却する。

原決定別紙一に「神戸」とあるのを「神戸市」と更正する。

理由

一本件抗告の趣旨及びその理由は、別紙記載のとおりである。

二当裁判所の事実認定及び法律判断は、次に付加、訂正するほか、原決定の理由と同一であるから、これを引用する。

1  原決定二丁表三行目の「こと、」の次に「右船舶所有者傭船者の各代表者又は業務執行者には、右事故による損害の発生につき故意又は過失がないこと」を加え、同二丁表七行目から九行目にかけての括孤内を「純積量1245.967立方メートル、機関室の積量751.224立方メートル、一単位を二三円として算出」と改める。

2  抗告人は、本件事故は舵輪(ハンドル)が取り付けられているテレモータースタンド内のストツプバルブが離脱してしまつたのがその原因であり、右操舵装置の欠陥による不堪航が、船主である相手方の過失に属するものであることが明らかであるから、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(以下「船主責任制限法」という。)第三条第一項ただし書により、責任制限は認められないと主張する。

記録によると、本件事故直前ころ、抗告人の指摘する本件船舶のストツプバルブがち緩し、テレモーター油が漏れて舵が作動しなかつたことが一応認められる。

そこで、右の点が船主である相手方の堪航能力担保義務違反となるかどうかにつき検討する。

記録によると、相手方は、法令等による本件船舶の検査を毎回受検してきたが、昭和五一年七月二三日、四国海運局松山支局長より、本件船舶の第一種中間検査の結果、舵につき「良」の判定を受けたこと、右ストツプバルブは、外部から透視できない密閉されたスタンド内にあり、テレモータースタンドと受動筒間のテレモーター連結管の圧力試験を行う時のみ操作するもので、通常、航海中及び停泊において乗組員が点検操作するものではないこと、同バルブは、二個が中心距離三四ミリメートルの位置にあり、船首側の止め弁は左舵用、船尾側の止め弁は右舵用各テレモーター油連結管の油の圧力を調整する機能を有し、各弁棒は、中間付近に5.7回転のネジ山が刻まれ、ネジ山頂部にゴムパツキングが施され、これを全締したのち1.5ないし2回転緩めた状態で使用に供されるのが通常であり、計算上では、船体振動、油圧力による軸力によつても止め弁の抜け出すおそれがないものとされており、同装置は、川崎重工業株式会社の製造にかかり、船舶安全法及び関係法令に基づく主務官庁の検査を経たもので、同会社から船主である相手方に対してはその点検につき指示もなく、相手方に渡された取扱説明書にもその点検につき記載されていなかつたこと、同装置と同様のテレモータースタンドは同社が過去一〇年間以上にわたり、約二、〇〇〇隻に設置したが、本件のような事故が発生したとの報告もないこと、本件事故は、前記のような船長の操船上の過失に基づき発生したものであること、相手方は、船舶職員法等に定められた資格を有する所定数の職員及び安全航行に支障のないような船員を右船舶に乗船させていたことがそれぞれ疎明される。

右事実によると、本件船舶の船主である相手方は、本件ストツプバルブにつき製造者からその点検を指示されていなかつたのであり、また、それが外部から容易に見られない場所に設けられていたことから考えると、相手方に対し、その保守、管理につき責任を問うことは困難というべきである。また、右の点を積極に解するとしても、相手方は、本件事故の四か月余前に所定の検査を経ていて、かつ、本件ストツプバルブの点検については製造者から渡された取扱説明書に記載がなかつたのであるから、自己又はその使用人をもつてそのち緩を調査、発見することを期待しうべくもなく、本件船舶には法令による資格を有した船員等を乗り組ませていたのであるから、物的、人的な管理面において非難すべき点があつたということはできないうえ、本件ストツプバルブは、テレモーター連結管の圧力試験を行う時のみ操作するという特殊なもので常時乗組員がこれを操作するわけでもなく、通常の状態であれば、構造上も危険の発生は予見できないものといえるのであるから、右ストツプバルブのち緩は、偶然か相手方が関知できない事由に基因したものと推測するほかない。そうだとすると、本件ストツプバルブのち緩と本件事故の発生との間に因果関係があるとしても、相手方には、本件事故防止に必要な設備提供義務ないし事故防止に必要な指示、情報提供義務の点において責められるべき事由がなく、したがつて、船主の過失による堪航能力担保義務違反があるものとは認められない。

3  本件事故は、前記のとおり、今切川において発生したものであるところ、抗告人は、これを船主責任制限法第三条の「航海」中の事故とはいえないと主張する。

しかしながら、同条は、「航海に関して生じた」損害に限定しているところに意義があるものと解されるが、その趣旨は、船舶の使用又は利用と直接の関連をもつて生じた損害をいうものであつて、必ずしも海上での事故に限られないものというべきである。

記録によると、本件事故は、船舶が今切川を航行中、船舶の通航を予定して設置された可動橋に接触して、これに損傷を与えたものであることが疎明される。このような事故は、同条にいう航海中の事故と解するのが相当である。

4  抗告人の相手方に対する債権が制限債権となるかどうかにつき考察する。

記録によると、抗告人の相手方に対する債権は、相手方の船舶が本件事故により加賀須野橋可動橋を破損したので、抗告人がその復旧をしこれに要した費用として道路法第五八条第一項の規定に基づき、原因者負担金名義で相手方に対し納付を命じたものであることが疎明される。

船主責任制限法は、海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約の批准に伴ない、これを国内法化したものであるところ、同条約第一条第一項(C)において、難破物の除去に関する法令によつて課される義務又は責任(前段)と、船舶が港の構築物、停泊施設又は可航水路に与えた損害について生ずる義務又は責任(後段)に基づく債権も制限債権として規定しているが、同条約の署名議定書二項(a)では右の点は留保の対象となつているので、船主責任制限法の立法過程でもこれらの債権を制限債権とするかどうか意見が対立していた。同法第三条と同条約第一条を対比すると、条文の文言を見るかぎり、同条約第一条第一項(C)に規定するところが、同法第三条に規定されていないことになる。しかし、右条約第一条第一項(C)前段の難破物責任に基づく債権は、船舶所有者が自主的に難破物を除去しない場合に、港則法第二六条又は海上交通安全法第三三条に基づき、行政庁が除去命令をし、その命令を受けた者がこれに従わないとき、当該行政庁が行政代執行法に基づきこれを除去し、その費用として船舶所有者から徴収するものであり、事故後における別の法律関係から発生するものと解されるのに対し、同条約同条項(C)後段の債権は、事故により直接生じた損害に関するものであつて、別の法律関係によるものではないから、舶主責任制限法第三条第一項第二号に含むものと解することができる。

ところで、抗告人の本件原因者負担金は、道路法第五八条第一項に基づく公法上の債権ではあるが、これを非制限債権とするような法令も見当らず、実質的にみても、船舶の接触事故を直接の原因として発生した損害に関するものであるから、同負担金は、船主責任制限法第三条第一項第二号の損害に基づく債権に該当するものと解するのが相当である。

5  その他記録を精査しても原決定には取り消すべき違法の点はない。

三よつて、本件抗告は理由がないから棄却し、原決定中、別紙一に「神戸」とあるのは「神戸市」の誤りにつきこれを更正することとし、主文のとおり決定する。

(越智傳 菅浩行 川波利明)

抗告の趣旨

原決定を取消す。

船舶責任制限手続申立人の申立を却下する。

との裁判を求める。

抗告の理由

一 原決定は、昭和五一年一二月七日午前九時七分頃、徳島県板野郡松茂町の県道川内大代線に架設の今切川加賀須野橋において、制限手続申立人神戸船舶株式会社(以下単に神戸船舶という)所有の汽船東燃えちれん丸の船橋左舷突出部が今切川加賀須野橋橋桁に接触し、同橋取付基部及び橋桁に損傷を与えた事故について、責任限度額を金一六、二一五、二三〇円として制限債権(物の損害に関する債権)を有する者は昭和五四年三月六日までに届け出なければならない、として昭和五四年一月一六日船舶所有者等責任制限手続を開始した。

二 しかし、原決定は次の理由により取消されるべきであり、制限手続申立は却下すべきものである。

(イ) 右事故は船主である神戸船舶の過失によるものであることが明らかであり、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(以下単に法という)第三条第一項本文但書により、責任制限は認められない。

今切川上流から加賀須野橋に向かつて航行していた東燃えちれん丸は、同橋手前五〇ないし八〇メートルの地点に迫つて突然舵がきかなくなつたため、同橋橋桁及び同取付基部に衝突してしまつたものである。船橋の、舵輪(ハンドル)が取り付けられているテレモータースタンド内のストツプバルブが離脱してしまつたのがその原因である。

自動車の走行中にハンドルと車輪との連絡が断たれて突然ハンドルがきかなくなつたとしたら、われわれは直ちに重大事故を連想するであろうが、船舶の場合それほどの実感をもたないかも知れない。しかし実際には、船舶の方が大きいだけに、又海上にあるだけに、一層危険であり、数百人、数千人の生命が失なわれることもあり得る。本件事故が物損のみですんだことはいわば不幸中の幸といい得るものであり、船舶における舵操装置の故障もしくは欠陥は、何にもまして重大視しなければならない。

従つて、船舶設備規程第一三六条の三に「操舵設備ハ有効ニ作動スルモノト為スベシ」と特に規定されているのである。

ところで、舵輪と舵板との間はパイプによつて結ばれており、パイプ中に一杯に詰め込まれた状態になつている油の油圧によつて操舵されるのであるから、操舵が有効に確保されるためには、油圧が絶対に他に逃出しないような構造になつていなければならない。ストツプバルブは、何らかのテスト時等に油圧の連絡を断つ必要がある場合に、それをパイプ中にねじ込んでパイプをその部分で閉ざす役割をするものであるが、このストツプバルブが離脱するときは、パイプ中の油圧がその部分から逃げてしまうことになるから、ストツプバルブは絶対に離脱してしまうことのない構造になつていなければならないのは当然である。

しかるに、東燃えちれん丸の操舵装置は何ということであろうか。ストツプバルブのネジ山は七山しかなくそのネジ山の長さは僅か一〇ミリで、そのネジ山部分がはずれるとストツプバルブは即離脱してしまうという驚くべくお粗末な構造となつている。しかも、ネジ山を全部ねじ込んでしまうとパイプは塞がれて油圧は連絡を断たれてしまうのであるから、運航時には常にネジはゆるめられており、七山のネジ山のうちせいぜい二山か三山がねじ込まれているにすぎない状態におかれているわけである。更に、舵輪を回転させることによる油圧の変動、舵板に加わる水圧による油圧への絶え間ない作用によつて、そのわずかにひつかかつているストツプバルブのネジ山部分へは油圧による力が常時強弱こもごもに加わつているのであり、更には、エンジンによる船橋自体の振動も加わるから、わずか二山か三山しかかかつていないネジ山はいつはずれてしまうかもわからない運命にあるといわなければならない。

すなわち、東燃えちれん丸の操舵装置には重大な欠陥があり、同船は不堪航の状態に在つたことが明らかである。

而して、右操舵装置の欠陥による不堪航が、船主である神戸船舶の過失に属するものであることは明らかである。神戸船舶は、各種船舶を所有しこれを運航することをその事業目的としている株式会社であり、船舶の建造発注、その設計の点検、その他船舶の所有、運航に関してはプロフエツシヨナルであり、当然それらは取締役会において討議され実施される事項である。そうでなくても船舶所有者には、商法並に船舶安全法によつて堪航能力担保義務が課せられているのであるから、不堪航の事実があるときは制限法上も船主の過失と考えられなければならない。

船主責任制限に関しては先進国であるイギリスにおける判例をみても、潜水艦が掲げていた燈火位置の不適当が原因となつて起きた事故について、燈火を不適当に掲げていたことが船主としての海軍省自体の過失となる、すなわち、現実には海軍省会議(会社の取締役会に該当)自体としては認識していなかつたとしても、潜水艦の燈火関係の責任者としての海軍第三長官が燈火が衝突予防規制に合致していないことを知り得べきであつたと認められる以上海軍省に過失がなかつたとはいえないとして責任制限を認めなかつた(一九五一年The Truculent事件)、又、船舶が汽罐の欠陥という不堪航のために坐礁しそれによつて発生した火災の結果の物損について、船主の過失ありとして船主責任制限を認めなかつた(一九一五年Lennards事件)。要するに操舵装置の欠陥という不堪航は即ち神戸船舶の過失と考えるべきものであること疑を容れない。

神戸船舶の責任制限は認めらるべきではない。

(ロ) 本件事故のあつた今切川は港湾区域であり、法第三条にいう「航海」中の事故ではない。同条の立法趣旨は主として外洋を航行する巨大船舶の場合、その事故による損害が船主の責任負担能力をこえて過酷なほど拡大する危険があり保険によつても賄い切れないものがあるところから、本来万全を期さねばならぬ被害者の救済を、一部犠牲にしてまでも、船主の責任を制限しようとするものであるから、拡大解釈をすることがあつてはならない。

「航海」とある以上明らかに海上での事故に限るべきであり、本件の如き港湾区域たる河川上での事故にまで適用せられるべきではない。

(ハ) 本件事故による損害は、直接には橋桁及びその取付基部の損壊である。右橋の所有者は徳島県であり、原決定による責任制限手続は徳島県を対象としてなされたものといつても過言ではない(原審のなした官報による公告にも、「物の損害に関する債権」について届出よ、と記載されている)。しかし、徳島県の神戸船舶に対する債権は、次の理由により制限債権とはならないものと解される。

すなわち、損傷をうけた加賀須野橋可動橋は、県道川内大代線に架設されているものであり、県道の一部を構成する物件であるが、その復旧に要した費用金二、三七一万四、七六〇円については道路法第五八条第一項による原因者負担金として、昭和五二年三月五日その納入命令を原因者である神戸船舶に対して発しているものである。

難破物責任に基づく債権については船主の責任制限から除外されていると解されるが、それは港則法、海上交通安全法等により除去責任が定められ、その除去費用の求償権は法令にもとづき発生するから、法第三条第一項の一号、二号いずれにもあたらないからであると説明される。

道路復旧についての原因者負担金もこれと全く同様であつて、不法行為による損害賠償債権とは異なり、故意過失の有無に関係なく、道路という公共上重要な施設の復旧確保のため道路法によつて特に定められた公法上の債権であるから、法第三条第一項の一号、二号いずれにも該当せず、責任制限をうけないものと解すべきである。

しかるに原決定は、右、徳島県の公法上の原因者負担金債権を制限債権と考える前提に立つて、制限手続を開始したものであり、取消されるべきである。

三 卑近な例として、水道の蛇口や元栓の構造を考えればわかることであるが、蛇口は平常はネジをしめて水をとめておき、使用する場合にネジをゆるめて水を出す、これに対し元栓は平常はネジをゆるめてあけておき、水道工事等必要の際にネジをしめて水路を閉ざす、だがいずれもそのネジはゆるめすぎても抜けてしまうことのない構造になつている。ゆるめすぎて抜けてしまうなら、街中がすぐ水浸しになつてしまうであろう。ストツプバルブは元栓の作用に似ている。平常はネジをゆるめて油の流路をあけておき、検査等必要がある場合にネジをしめて流路を閉ざす、だが元栓と異なるところは、元栓が抜けても第三者に重大な被害を及ぼすことは予想されないのに対し、ストツプバルブが抜けたら舵がきかなくなり、船はほぼ確実に海難を起こし重大な事故に到るであろうと予想されることである。然るに、水道の元栓は抜けない構造になつているのに、ストツプバルブはちよつとゆるめすぎると脱落してしまう構造になつているというのは、何たる矛盾、初歩的欠陥であろうか。このような構造の操舵機を有する船舶が航行の用に供されるのは極めて危険であり、その船舶が不堪航の状態にあることについては議論の余地はない。しかも、東燃えちれん丸のストツプバルブはゆるんで脱落してしまつたのであるから、脱落前の状態は、ストツプバルブのネジがゆるんで脱落しかけの状態のまま航行の用に供されていたことに帰するから、その状態自体不堪航といわねばならない。

四 船主の堪航能力担保義務については、絶対的責任主義が通説であり、被抗告人の引用する東京地裁昭三九、一、三一判決は相対的責任主義をとるもので少数説である。自動車のように一定の規格のもとに量産されて商品として一般に市販されるものについては、その構造、性能について製造者に責任を負担せしめることができるが、船舶は個別発注により製作され、構造が千差万別であつて、検査制度も整備不充分であり、長い沿革のもとに、その堪航能力は船主に、運行上の問題については船長に、それぞれ重大な責任を課すことによつて、はじめて船舶航行上の安全性が担保されているのであつて、船主の義務は軽々に軽減を試みるべきではない。況んや法定の検査さえ受けておけば船主の不堪航の責任を免れうるとするのは論外である。船主は常に所有船舶について堪航能力を保持するよう独自の注意を怠つてはたらず、運行の都度あらゆる面から安全性を検査確認するよう従業員にも指示を与えなければならない。

五 船舶の所有者等の責任の制限に関する法律は、一九五七年にブラツセルで開かれた第一〇回海事法外交会議において成立していた「海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約」を批准するにともなつて、商法六九〇条を改正するとともに時代遅れとなつた委付主義を放棄するために新たに制定せられた法律であり、第三条にいう「自己の故意又は過失」は条約第一条にいう船主の「Actual fault or privity」に該当するものであり、その解釈にあたつては右条約成立にいたる沿革や成立後の各国の判例の積みかさねが検討されねばならないが、一般には、船主の事故防止に必要な物的、人的設備提供義務違反と船主の事故防止に必要な指示、情報提供義務違反とに類別され、前者については、不堪航を知りまたは知りうるべきであつたのに(堪航性調査義務)、その堪航能力の欠如を除去するのに必要な措置(堪航能力保持義務)をとらない場合が含まれると説かれている(別紙稲業威雄氏解説、時岡泰氏逐条解説参照)。又諸外国の判例については別紙落合誠一氏の研究に紹介されているが、解釈上主導的役割をもつて来たイギリスの判例については、前記国際条約の前後によつて解釈上の差異はみられず、一貫して、船主に堪航性調査義務と堪航能力保持義務とをみとめてそれら義務違反は船主のfaultと解する立場をとつている。而して、単に検査さえうけておけば船主はこれらの義務違反を免れるなどという暴論はこれら判例のどこにも存在しない。

六 要するに船主は船舶の安全性について不断の調査努力をなすべきものであり、高度の専門的知識や経験がなければわからないような欠陥は別として、本件のようにテレモータースタンドのストツプバルブを一見しただけで誰でも脱落の危険がわかるような欠陥については、これを速やかに発見するとともに、脱落しないように固縛するなど極めて簡単な方法で欠陥を補正できるものであるから、補正の処置を講じて運行に供すべきであつた。被抗告人の援用する前記東京地裁判決が運送人の堪航能力担保義務について相対的責任主義に立つて船主の責任を否定したのも、その事案が事故後の専門家による原因探究でさえ原因をつかめないような、況んや通常人では調査しても発見不可能と思われる欠陥に原因していたからと思われるのであつて、本件の如き、誰でも容易に発見できる欠陥については妥当しない。最近世界中を震憾させたアメリカペンシルベニアにおける原子力発電所の事故が大事故となつてしまつた一因が、冷却水が通ずる水路のバルブを閉めたまま開けるのを忘れていたという驚くべき単純なミスであつたことを想起すべきであり、専門家や業者に検査さえさせておけば事足れりとする他人まかせの考え方がいかに危険であるかを思い知るべきである。

七 本件事故の根本原因が、ストツプバルブ離脱による操舵装置の故障にあることは明らかである。狭浅な水路を航行する船舶にとつて、一定の航路を維持して両側の橋脚に接触しないよう運行するためには、舵こそいのちである。

船長福本要の昭和五一年一二月一五日付加賀須野橋接触事故報告書によると、「開口部中心線より稍右側(開口部の1/3の線上)に定針して航進直後(橋の手前約八〇米)右舷側船橋サイドで見張中の二航士より右側ドルフイン通過間隔約二米との報告を受けましたので当直操舵手に稍右寄りに針路を修正させ確認の後時間にして一〇秒程度経過した頃「舵がおかしいですよ舵がききませんよ」との報告を聞き直に機関を停止し……」「操舵機系統を点検しました処別紙参考図の個所のテレモータ連絡油圧管のストツプバルブの離脱と判明しました」とあつて、舵がきかなくなつたのがストツプバルブの離脱によるものであることが極めて明らかにされている。然るに甲一一号証海難審判庁の裁決では、河川流に対する注意が十分でなかつたため舵効を失し圧流され、跳開されていた橋体に著しく接航したことにより事故は発生した、というのである。しからば水流によつて舵効を失したとき、たまたま偶然にストツプバルブが離脱するという現象が起きたというのであろうか、裁決によれば滅多にはずれることのないというストツプバルブが、たまたまはずれてしまうという事故が、極めて偶然に水流による舵航失効の時点と一致したことになるが、このようなことが信ぜられる筈はない。あまりにも常軌を逸した作為的な裁決というの外はない。船長の運行上の過失が重なつたとしても、根本原因は操舵機の故障すなわち欠陥バルブに在ることは明白である。

八 およそあらゆる機械類の構成部分のうち、弁(バルブ)、コツク等は、一般にもつとも損傷をうけやすく又単純な構造である反面重要な作用をもつものが多いことは、むしろ条理、常識であると言つても過言ではない。従つて、これらの構造、作用の認識、及び管理、点検は機械の所有者、或は使用者にとつて、重要な事柄に属する。船舶機械の補機及び管装置に関して、「管、弁、コツク、管取付物、操縦棒、ハンドルその取付物は確実に取り付け、かつ損傷をうけやすい場所にあるものは、適当に保護しなければならない」「前項の保護がおおいをもつて行われる場合には、おおいは点検の際容易に取りはずすことができるものとし、……」(船舶機関規則二六二条)と定められているのも、弁が重要にして傷みやすく常時点検を必要とするものだからである。又、弁の構造について「弁は右回り閉さ式であり、かつ、容易に開閉状態を識別できる構造のものを除いては開度の指示装置を有するものでなければならない」「鋳鉄製の弁及び一類管に連結する呼び径六〇ミリメートルをこえる弁の弁ふたは、ボルト締めとすること」「蒸気又は油に用いる前号の弁以外のものの弁ふたであつて、ねじ込みとしたものは、ゆるまない構造又はユニオンボンネツト形とすること」(同規則三六〇条、本件記録九四丁、七九丁参照)と定められているとおり、弁が容易にゆるんで抜けてしまうものであつてはならないのである。

九 本件事故の原因となつたストツプ弁もその例外ではない。

しかも、本件記録九七丁の写真で明らかなとおり、船橋のテレモータースタンドは常時人の居る場所であり、スタンドのふたは容易にとりはずせる構造となつていて簡単に点検ができるところにストツプ弁が存在する。このストツプ弁がゆるんで抜けてしまえば直ちに操舵装置はその効を失つてしまうことが明らかなのに、繰り返し主張して来たようにストツプ弁はねじ込み式となつていてねじ山は七山しかなく、ゆるまない構造にはなつていないのであるから、船主はこの危険な構造を知り常時点検を指示し又構造を改善するよう努力をしなければならないのは当然である。又これを知らなかつたとしても、知るよう努力しなければならなかつた。相手方は、右ストツプ弁は圧力試験等特殊なときに使用されるもので船舶乗組員がさわるところではなく、従つてこれに関する何らの注意義務がないよう主張する如くであり、疏中二八号証作動説明書は船主には交付されていないとするが、同号証六頁のテレモータースタンドの作動説明として「テレモータ受動筒に命令を与えるには補給弁箱についている左右両コツク及スタンド下部に付けてある左右両ストツプ弁とも左に回して締付けておき舵輪を回わすこと、舵輪は右側に回せば面舵、左側に回せば取舵です……中略……テレモータ系統に万一漏れが生じた場合は補給管より油を自動的に補給する」と記載されており、その他の箇所の説明を見ても、いずれも船主及び乗組員において充分認識しておかねばならない内容のものである。又右作動説明書は本件東燃えちれん丸のテレモータースタンドに関する説明書ではない。右記載のうち「左に回して締付けておき」との記載及び同説明書七頁最下欄の「通常は左右両弁共左に回して締付けておく事」との記載から明らかなとおり、同説明書記載のストツプ弁は、右に回して締付ければ油の流路を閉ざし、左にまわして締付けることにより油の流路を開放してしかも締付けられる構造になつていることによつてその状態を固定し、弁ふたがゆるんだり抜けたりすることのない構造になつているものであり(水道の元栓のような構造)、更に右のような説明書の存在は即右のような構造のストツプ弁の存在を意味する。本件のような抜けやすい、ゆるみやすい構造のものばかりが二〇〇〇隻に用いられたものではないことは明らかである。

一〇 問題は、相手方が主張するように、船主は法定の検査さえ受けておけば全く責任がないのか、それとも法定の検査をうけるだけでは足らず船舶の安全航行について不断の注意義務を負うのかという点である。抗告人は強く後者を主張する。

そうでなければ船舶航行の安全はあり得ない。

殊に航行安全にとつてもつとも重要な操舵装置については、船主はその有効作動を担保する責任があり、従業員、乗組員に対しても点検を指示し、常時その安全を期さなければならない。とりわけ前記のとおり、点検が極めて容易で且つ重要な作用をもちながら損傷を生じやすい管、弁、コツク等については尚更のことである。本件において、相手方は法定の検査のみで足るとして、東燃えちれん丸の安全航行について何らの注意を払わず、従業員、乗組員に対しても何らの指示を与えた形跡がなく、そのために当然に知るべきであり且つ知り得たであろう本件欠陥バルブの存在を知らず、欠陥のあるままで、更にネジ弁がゆるんで抜けかけたような状態で、船舶を航行の用に供したものであるから、堪航能力担保義務の絶対的責任主義(通説)をとる立場からは勿論のこと、相対的責任主義をとる立場からしても相手方の過失は否めない。「日常機器に対する知識、点検、整備等安全面に対する取組み方の姿勢に甘さがあつたのではないかと反省を致しております」という船長福本要の反省(疏乙一号証三頁)は、相手方にこそ求められるべきである。

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